『嫌われる勇気』の完結編ということになっている本です。
本書では『嫌われる勇気』で示された生き方を「続けること」という視点がテーマになっているような気がしました。
ここでは『幸せになる勇気』を読んで、目に留まった要素を整理してみます。

- 著者
- 岸見一郎,古賀史健
- 訳者
- -
- 出版社
- ダイヤモンド社
- 発行日
- 2016年2月
この本について
どのような本か
ジャンル
心理学、哲学
テーマ
『嫌われる勇気』で説明された「共同体感覚」「目的論」といった内容を、一歩踏み込んだ「愛と自立」というテーマから考える
どんな人に向いているか
- 『嫌われる勇気』を読んだ人
注目した要素
- 1
愛と自立
自己中心性からの脱却と「わたし→わたしたち」への移行 - 2
与えられたものをどう使うか
信じる勇気があればどんな相手でも「尊敬」し「信じる」ことができる。 - 3
歩み続ける勇気
本当の試練は最初の一歩を踏み出した後からはじまる
所感メモ
本書を選んだ理由
単純に『嫌われる勇気』の続編・完結編ということで読みました。
哲人と青年のやり取りがどこへ向かうかが見たかったことも理由ではあります。
愛と自立
個人的には本書の核となる考え方であると思いました。
本書では「愛」は「ふたりで成し遂げる課題」であるとされています。
『嫌われる勇気』では「信用」「信頼」「貢献感」といった言葉が出てきており、「共同体への貢献感こそが幸福である」という主張が取り上げられていたかと思います。
そして、続編である本書では、そこから一歩踏み込んで「愛」を取り上げていました。
哲人 利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それが愛なのです。
『幸せになる勇気』P.239より引用
さらに、この考え方を前提とし、人生の主語を「わたし→わたしたち」へ変換していくことこそが「自立」であるとされています。
ここで詳しく取り上げることはしませんが、本書冒頭では「教育」をテーマに話が展開されていきます。
そして、その結論「教育の目的」として挙げられているのが「自立」でした。
この内容に該当しそうな部分を引用してみます。
哲人 自立とは「自己中心性からの脱却」なのです。
(中略)
われわれは頑迷なる自己中心性から抜け出し、「世界の中心」であることをやめなければならない。「わたし」から脱却しなければならない。甘やかされた子ども時代のライフスタイルから、脱却しなければならないのです。
『幸せになる勇気』P.244より引用
そして、この「わたし→わたしたち」への移行によって、アドラー心理学の重要項目?である「共同体感覚」へ本当の意味で到達できるとしています。
- わたし
- わたしたち
- 共同体
この流れが本書『幸せになる勇気』の中心ととらえることができると思います。
少なくとも本書ではこの「共同体感覚」が最終到達点とも読めるような書き方となっていますが、実際アドラー自身の主張では「共同体感覚」はどれくらい重要視されているのでしょうか?
改めて調べる機会を設けてみたいと思いました。
歩み続けること
愛と自立の話ももちろんそうですが、個人的には本書が一番言いたかったこともここではないのかな?と思う内容です。
該当部分(哲人の言葉)を引用してみます。
(前略)もちろん最大のターニングポイントは、「最初の一歩」でしょう。
しかし、実際の人生は、なんでもない日々という試練は、「最初の一歩」を踏み出したあとからはじまります。ほんとうに試されるのは、歩み続けることの勇気なのです。ちょうど、哲学がそうであるように。
『幸せになる勇気』P.275より引用
これは作中で再び哲人のもとを訪れた青年への言葉であるとともに、『嫌われる勇気』を読んだ読者全員への言葉でしょうね。(当たり前ですが)
『嫌われる勇気』は本文中でも「劇薬」と称されているような、なかなか初見ではインパクトの強い内容となっていました。
そして、その内容に触れた直後は
- 価値観が変わった
- 課題の分離をしよう
- 明日からアドラー心理学取り入れよう
と思っても、どうしても日々の暮らしの中で周囲への反応をうかがったり、過去の自分に引き戻されてしまったりして、結局は元通りの自分に戻ってしまう。
これは全ての自己啓発本に共通する課題ですね。
全てを鵜呑みにするのが良いわけではありませんが、続けなければ何も得られることもないわけですので。
哲人 ……あなたの願いは「幸せになりたい」ではなく、もっと安直な「楽になりたい」だったのではありませんか?
『幸せになる勇気』P.270より引用
わたしも含め、この言葉はぶっ刺さる人が多いのではないでしょうか?
発展を考える
別視点でのアドラー心理学を
『嫌われる勇気』の記事でも同じことを書きましたが、この
- 『嫌われる勇気』
- 『幸せになる勇気』
は、著者の一人である岸見一郎さんが「アドラー心理学を再構築したもの」であるとされています。全く同じ文章ですが、『嫌われる勇気』のあとがきの文書を再度引用してみます。古賀史健さんの文章です。
……わたしはアドラー関連の書籍を片っ端から買い漁り、夢中になって読み込んでいきました。
しかし、そこである事実に気が付きます。わたしが求めていたのは、単なる「アドラー心理学」ではなく、岸見一郎というひとりの哲学者のフィルターを通して浮かび上がってくる、いわば「岸見アドラー学」だったのだ、と。
『嫌われる勇気』P.288より引用
結局、アドラー心理学について追加で調べる間もなく本書『幸せになる勇気』を読んでしまいましたので、まだ原点となるアドラー自身の主張について調べられていません。
また、今回改めて感じましたが、このシリーズはギリシア哲学からの影響も大きいのだと思います。
そもそも、本書にでてくる「哲人」も「ギリシア哲学を学んでいた」と言及していますし、特にソクラテスについて繰り返し言及されています。
というわけで、本書に対する追加調査を考えるのであれば
- アドラー自身の主張
- ギリシア哲学の概要
これら2点の調査しようかと思いました。
ただ、ちょっと哲学的な内容は食傷気味なので優先順位は低めで…
関連する読書メモ
・『嫌われる勇気』
本書の前段階となる本です。本書が「愛と自立」であるならば、この本は「生き方」についてアドラー心理学を基に考えています。もともと続編の予定は無かったというだけあり、こちらだけでも十分に面白い本です。
・『GIVE&TAKE』
簡単に言ってしまうと、与える人「ギバー」の性質が巡り巡って成功につながるということをが述べられている本です。『幸せになる勇気』で言及される「与えよ、さらば与えられん」と共通する部分があるのではないかと思いました。
気になった言葉
後日調査したらリンクを追加予定です。
- アドラー心理学
- ソクラテス
ひとこと
「愛と自立」
確かに考えたこともなかった主張であり、改めて気づかされる部分がありました。
ただ、この考え方は生半可な理解のまま取り入れて、使い方を誤ると相手の反論を全て
「お前は”愛”を知らないからわからないんだ」
と言って突っぱねる道具としても機能してしまうのではないでしょうか。そう言われてしまえばもう相手は話を打ち切るしかない。それで終わり。
考え方として大変素晴らしいのですが、これを結論とするのは個人的には好きではないです。もう一歩踏み込んだ答えを持っておきたい。
哲人が最後に「伴走者を探し求めていた」と言っていたのはそういうことではないのかな、とも思いました。
もう少し調査しつつ改めて結論を出せたらと思います。