かなり前に読んだ本ですが、それっきりになっていましたので再読してみました。
本書では、日本と西洋との思想の違いが食文化の違いに根差しており、ひいては気候の違いによる農業・牧畜形態の違いから生まれたという視点が提示されています。
今回は『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』を読んで、目に留まった要素を残しておきます。

- 著者
- 鯖田豊之
- 訳者
- -
- 出版社
- 中央公論新社(中公新書)
- 発行日
- 1966年01月25日
この本について
どのような本か
ジャンル
人類、社会、歴史
テーマ
日本と西洋の思想の違いの原因を、食文化や気候風土の違いから読み解く
どんな人に向いているか
- 西洋と日本の違いを考えたい人
- 「日本人から見た西洋」という視点が欲しい人
注目した要素
- 1
動物への考え方の違い
家畜を殺して食べることに抵抗を持たない一方、小鳥を殺して食べる日本人に「残酷」と言い放つ西洋人の価値観。また、家畜を殺す一方で動物保護を訴える矛盾する考え方 - 2
主食・副食の区別ができない食料事情
ヨーロッパは植物の生育に不利で牧畜に適した気候であり、穀物を「主食」とするほど生産することが難しかった。畜産に力を入れて食べていくしかなかった - 3
キリスト教の影響
自分と身近な家畜を殺して食べなければならない環境では、人間と動物に明確に線を引き、人間を上位に置くことで抵抗感を無くす必要があった。そのため、キリスト教の教えと相性が良かった
所感メモ
本書を選んだ理由
有名な本ですので昔読んだことがあり、改めて再読してみました。
当時は「なぜ西洋人は(日本人から見て)残酷なのか」のような紹介のされ方をされており、それで本書を知ったような記憶があります。
また、人類の文化・価値観の形成と気候は間違いなく影響しているだろうと考えていますので、要素として重要だと思います。
西洋の思想と食料事情
本書の主題となる内容です。
日本人から見た西洋の思想について、『ヨーロッパの旅』という本からの引用として以下のような内容が示されていました。
- 雄鶏の頭がそのまま食卓に並ぶ、血だらけの豚の頭が出る
- 「残酷だ」と意見を述べると、「牛や豚は人間に食べられるために神様が作ってくださった」と返される
- 「小鳥なら頭からかじることがある」と言うと、「あんなやさしくて可愛らしいものを食べるなんて残酷だ」と返される
こういった内容から「肉食」という概念について述べられていきます。
まず、日本においても「食の欧米化」が起こっているとされていますが、現代の我々からしても、先ほどのような家畜の頭がそのまま食卓に並ぶような場面はそれほど多くはなく、少なからず抵抗感を持つのではないかと思います。
その時点で、日本における「肉食」は西洋とは若干異なり”ままごと”のようなものだとされています。
比較宗教史の問題はともかくとして、日本のレストランでみかける西洋料理とのいちばん大きなちがいは、ビフテキやポーク・カツのような切り身でなく、もとの形のはっきりわかるものが、さかんに家庭の食卓にのぼることである。おそらく価格の安いのが主な理由であろうが、そういうものを専門のコックでなく、普通の家庭婦人が料理するのである。日本でこんなことが考えられるだろうか。いくら肉の好きな人でも、血だらけの豚の頭がでたりしたら、たいていは、竹山と同じように、ギョッとするにちがいない。
このような例にくらべれば、日本人の肉食はままごとのようなものである。所得倍増政策のあおりで肉類の冒頭が問題になっているこのごろでも、「豚の頭」や「こうしの面皮」を食べようとの声は、いっこうにおこらない。おそろしく不経済なはなしである。洋風化したといっても、日本人の食生活と、ヨーロッパ人のそれとのあいだには、なお、根本的なへだたりがある。
『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』P.4-5より引用
本書は1966年に刊行された本であり、既に60年が経過しています。
日本もヨーロッパも食生活が少しずつ変化はあるのだろうと思いますが、根本的な部分は現代でも同じでしょう。
少なくとも、日本において豚の頭を買ってきて料理した経験のある家庭はどれだけあるでしょうか?そういった意味でも、2020年代現在でも一考の価値のある内容だと思います。
そして、この違いは
- 日本とヨーロッパの気候の違い
- そして気候の違いによる農業・牧畜の適正
ここから生じているとされています。
- 日本:夏に気温・湿度が共に高くなり、冬は共に低い→植物の生育に適しており、家畜の歯に合わないほど固く太く育つ
- ヨーロッパ:夏は気温が高く湿度が低い、冬は気温が低く湿度が高い→植物の成長が育ちにくく、草類も柔らかいまま成長が止まる→牧草に適している
この違いにより、日本では穀類や芋類が育ちやすく、それらを”主食”に据え、肉・魚・野菜を”副食”とする食事を形成することができた。
一方ヨーロッパでは、”主食”に据えられるほどの穀類を育てることが難しく、逆に牧畜には適した気候条件がありました。
そのため、家畜を上手に利用して乳製品や場合によっては家畜の肉を食べることで生きていく文化が形成されていったとされています。
また、麦は米(水稲)と比較して、無肥料連作時における再生産率が低く、かといって気候的に水稲を栽培することもできないため、日本の様に穀物中心の食生活を作れなかったという事情もあるようです。米の存在はそれだけ大きかったようです。
キリスト教との関連
もう一つ重要な要素としてキリスト教の考え方もあります。
旧約聖書からの引用として以下の文章が示されます。
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに想像し、男と女と似創造された。………神は言われた「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、海のすべての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、全ての生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう。………」(「創世記」一の27、九の1、2、3)
こういったユダヤ教→キリスト教の教えがヨーロッパの気候からくる食料事情とよく噛み合っており、思想形成の土台となったとされています。
では、動物愛護と動物のと畜の同居するヨーロッパ特有の条件から、どのような思想的方向が生まれたのであろうか。
予想される答えは一つしかない。人間と動物の間にはっきりと劃し、人間をあらゆるものの上位におくことである。そうすれば、一切の矛盾は解消し、動物と畜に対する抵抗感もなくなるはずである。歴史的にみて、こうした思想的立場をもっとも鮮明にうちだしたのが、実はキリスト教である。パリのお嬢さんが、竹山道雄にむかって、「牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださった」といっているのは、その何よりの例証である。欧米諸国の動物愛護協会が、動物を殺すことをかならずしも残酷視しないのも、結局は、ここに原因がある。
『肉食の思想 ヨーロッパ精神の再発見』P.58-59より引用
先述の様にヨーロッパでは、気候的条件から主食に据えられるほどの穀物を生産することが難しく、反対に牧畜には適していたため、家畜と一緒に生活せざるを得なかった。
そのため、必然的に家畜はとても身近な存在となる。しかし、時にはその身近な家畜も殺して食べなければ生き延びることができないような食料事情であったと。
そうなれば、心理的抵抗感を持たないように食料を用意しようと思ったら、自分たちが家畜の命を奪う行為を正当化してくれる”何か”が必要だった。ということのようです。
そして、キリスト教と強く結びつき、我々日本人から見るとある意味では歪で矛盾したようにも感じられる「動物に対する認識」が形成されたということでしょう。
元を辿れば「生き延びるためにそうせざるを得なかった」ということですので、部外者である我々が一概に「残酷だ」というのも少し違うと感じますね。
問題は「資本主義」と結びついたことで、そのような価値観を基に必要以上に「開発」し「生産」し、「産業」として際限なく成長してきてしまったこと、と言えるのではないかと思います。
「地球」や「資源」に関する研究が進んできており、ある程度世界的にその認識が共有され始めた現代だからこそ、今後どうしていくべきか考えていかないといけないでしょう。
発展を考える
宗教の起源を調べる?
本書の内容に基づいて考えるにしても、やはり宗教、今回で言えばキリスト教について知ることは重要だと思いました。
ただ、「宗教」といっても現生する宗教の教えを調べるというよりは、
- 発祥地
- 発祥地の気候
- 原初の教義
こういった、起源に関する観点から調べてみるのがよさそうだと思います。起源→伝播→現在の姿→変化 この順番が見やすのではないかと思いました。
とはいったものの、どこから手を付けるべきか…。
関連する読書メモ
・『栽培植物と農耕の起源』
世界各地の様々な気候の地域で生まれた農耕の様式についての本です。直接本書とつながる部分はなかったように思いますが、今後の方向性としてこちらとつなげていきたいと思っています。
気になった言葉
後日調査したらリンクを追加予定です。
- 気候
- 牧畜
- キリスト教
ひとこと
地域による文化の違いを考える上でとても面白い本だと思いました。
刊行からかなり時間のたっている本ではあり、取り上げられているデータもそのまま現状には当てはまらないかもしれません。しかし、根本的な部分は現代もそれほど大きく変わっていないのではないかと思います。
気候、食糧事情、宗教など文化・生活様式の形成に影響を及ぼしたであろう内容について引き続き調べてみたいと思います。